石田格

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==経歴==
 
==経歴==
高校時代に「[[獨協四天王]]」の一人として頭角を現し、「日本最強の高校生」と評される。早くから[[プロツアー]]・[[世界選手権]]に参戦し、世界規模での経験を積んでいく。
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高校時代に「[[獨協四天王]]」の一人として頭角を現し、「日本最強の高校生」と評される。早くから[[プロツアー]]・[[世界選手権]]に参戦し、世界規模での経験を積んでいく。[[真木孝一郎]]や[[藤田憲一]]などとはこの時代からの付き合いである。
  
 
[[The Finals98]]で[[アンチデッキ|アンチ]][[MoMa]]の[[赤茶単アカデミー]]を披露し、翌年[[ウルザ・ブロック構築]]では翌年の[[日本選手権00]]を制する[[青茶単]]の原型となった[[イタリックブルー]]を作り上げるなど、この頃から[[デッキビルダー]]としての才能を開花させる。
 
[[The Finals98]]で[[アンチデッキ|アンチ]][[MoMa]]の[[赤茶単アカデミー]]を披露し、翌年[[ウルザ・ブロック構築]]では翌年の[[日本選手権00]]を制する[[青茶単]]の原型となった[[イタリックブルー]]を作り上げるなど、この頃から[[デッキビルダー]]としての才能を開花させる。
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*一時期、カードショップ「フューチャー・ビー」に就職し、プロのテニスプレイヤーやスキーヤーの様に「スポンサー契約プレイヤー」として活動しており、大会賞金ではなくてスポンサー契約料にて生計を立てていた。名実共に「日本初の“プロ”プレイヤー」である。
 
*一時期、カードショップ「フューチャー・ビー」に就職し、プロのテニスプレイヤーやスキーヤーの様に「スポンサー契約プレイヤー」として活動しており、大会賞金ではなくてスポンサー契約料にて生計を立てていた。名実共に「日本初の“プロ”プレイヤー」である。
 
 
*2016年には、かつて彼が製作に携わった[[デュエル・マスターズ]]において、「別格の超人 (「イタリック・ジャイアント」と読む)」なるカードが収録。明言はされていないが、氏への追悼の意が込められていると思われる。
 
*2016年には、かつて彼が製作に携わった[[デュエル・マスターズ]]において、「別格の超人 (「イタリック・ジャイアント」と読む)」なるカードが収録。明言はされていないが、氏への追悼の意が込められていると思われる。
  
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==代表的なデッキ==
 
==代表的なデッキ==
*[[オウリング・ボア]] ([[グランプリ浜松06]]ベスト8)
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*[[発掘サイカトグ]]
 
*[[発掘サイカトグ]]
 
*[[明神フレア]]
 
*[[明神フレア]]
*墨目スペシャル ([[サイカトグ]]、[[グランプリシンガポール05]]優勝)
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*墨目スペシャル([[サイカトグ]]、[[グランプリシンガポール05]]優勝)
*[[般若の面]] ([[青]][[メタる|メタ]][[ステロイド]]、[[The Finals01]]優勝)
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*[[般若の面]]([[青]][[メタる|メタ]][[ステロイド]]、[[The Finals01]]優勝)
*[[ワイルドゾンビ]] ([[グランプリ仙台01]]ベスト8)
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*[[ワイルドゾンビ]]([[グランプリ仙台01]]ベスト8)
*[[トレンチ]] ([[グランプリ神戸01]]優勝)
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*[[トレンチ]]([[グランプリ神戸01]]優勝)
 
*[[匂いバーン]]
 
*[[匂いバーン]]
*[[イタリックブルー]] ([[青茶単]])
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*[[スライ|イタリックスライ]] (使用者の[[金澤尚子]]が[[プロツアーニューヨーク99]]広島予選優勝)
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*[[スライ|イタリックスライ]](使用者の[[金澤尚子]]が[[プロツアーニューヨーク99]]広島予選優勝)
*[[赤茶単アカデミー]] ([[The Finals98]]ベスト8)
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*[[赤茶単アカデミー]]([[The Finals98]]ベスト8)
*[[緑白オース]] ([[日本選手権98]]準優勝)
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==コラムなど==
 
==コラムなど==

2023年5月12日 (金) 23:44時点における最新版

石田 格(いしだ いたる)は、日本マジック界の黎明期から長きに渡って活躍したマジックプレイヤー。「和の鉄人」。

目次

[編集] 経歴

高校時代に「獨協四天王」の一人として頭角を現し、「日本最強の高校生」と評される。早くからプロツアー世界選手権に参戦し、世界規模での経験を積んでいく。真木孝一郎藤田憲一などとはこの時代からの付き合いである。

The Finals98アンチMoMa赤茶単アカデミーを披露し、翌年ウルザ・ブロック構築では翌年の日本選手権00を制する青茶単の原型となったイタリックブルーを作り上げるなど、この頃からデッキビルダーとしての才能を開花させる。

日本の大転換期、そして、彼の全盛期とも言える2001年の活躍はもはや伝説である。2月マスターズ東京01準優勝、5月グランプリ台北01準優勝、1350人を超える参加者を数えた8月のグランプリ神戸01で優勝し、待望の個人戦タイトルを獲得。10月マスターズニューオーリンズ・ゲートウェイ突破。11月のグランプリ仙台01では、1週間前に行われたグランプリラスベガス01で登場したワイルドゾンビをわずか1週間で極限のレベルにまで完成させ、スイスラウンドを13勝無敗1分で突破し、優勝こそ逃したものの、その才能を存分に見せつけた。勢いそのままに年末のThe Finals01ではメタゲームを読み切りメタステロイド般若の面を投入、観衆から「見ていて絶対負ける気がしない」と言わしめたほどの圧勝で優勝を飾る。

そして、これらの活躍の結果、インビテーショナル02にアジア太平洋地域の最多プロツアー・ポイント保有プレイヤーとして招待された。

マスターズ東京01マスターズ大阪02では「Panzer Hunters」を2大会連続準優勝に導き、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを狙う森勝洋のために結成した「アンチャンズ」もグランプリ台北01で準優勝を果たし、森のルーキー獲得に貢献している。また「Panzer Hunters」として参戦したマスターズヴェニス03では準決勝で「P.S.2」との日本人チーム対決に敗れはしたものの、緒戦でKai Budde率いる「The Phoenix Foundation」を降し、マスターズ大阪02での雪辱を果たしている。

2000年代中盤は東名コミュニティ「マジック虎の穴」をまとめあげ、リーダー格として活躍した。

日本選手権には13年連続出場(1997年~2009年)を果たした。これは現在の最多記録である。

その後トレーディングカードゲーム製作に関わっていたが、2013年1月13日に死去。享年33。(参照:追悼 石田格さん

  • 一時期、カードショップ「フューチャー・ビー」に就職し、プロのテニスプレイヤーやスキーヤーの様に「スポンサー契約プレイヤー」として活動しており、大会賞金ではなくてスポンサー契約料にて生計を立てていた。名実共に「日本初の“プロ”プレイヤー」である。
  • 2016年には、かつて彼が製作に携わったデュエル・マスターズにおいて、「別格の超人 (「イタリック・ジャイアント」と読む)」なるカードが収録。明言はされていないが、氏への追悼の意が込められていると思われる。

[編集] 特徴

プレイヤーとしての実力はもちろん素晴らしいが、イタリックブルーを作り上げたデッキビルダーとしての能力、ワイルドゾンビ般若の面で披露したデッキチューナーとしての能力、チーム戦での司令塔としての働き、コミュニティの統率力など、各分野で世界トップクラスの才能を持つ。

チーム戦のロチェスター・ドラフトにおける司令塔としての能力には特に定評があり、石田のチームはすべて彼1人の指示でピックが行われている。卓を掌握する能力は筆舌に尽くしがたく、対戦相手のチームのピックまでコントロールしているかのようである。グランプリ大阪05において、ドラフトのテーブルについていたあるジャッジが「彼は右脳と左脳の間に『チーム・ロチェ脳』を持っている」と言ったほどである。この能力を養うために、あるインタビューでは、チーム・ロチェスターのピックの練習を1人で(6人分のデッキを作成)1つのシーズンに100回行うと答えている。

[編集] 主な戦績

[編集] プロツアー

[編集] マスターズ

[編集] グランプリ

[編集] その他

[編集] 代表的なデッキ

[編集] コラムなど

[編集] 参考

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