齋藤友晴

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特に[[ビートダウン (デッキ)|ビートダウンデッキ]]、速攻デッキが得意なことで有名で、[[ストンピィ]]などの[[クリーチャー]]デッキを使用することが多い。また、[[デッキビルダー]]としての活躍も目覚ましく、[[スノウ・ストンピィ]]や[[シー・ストンピィ]]などの[[クロック・パーミッション]]の製作を手がけている。[[世界選手権07]]では、当時いわゆる「日本殺し」と言われた[[フォーマット]]だった[[レガシー]]において、新たな[[アーキタイプ]]となる[[Tomb Stompy]]を制作し、[[森勝洋]]に提供。森が好成績を収めたことで、幅広いフォーマットでのデッキ構築力を証明することとなった。また[[赤緑白ビートダウン#イニストラード・ブロック+ラヴニカへの回帰ブロック期|Saito Zoo]]など、Twitterによる自作デッキの「情報公開」を行い、[[メタゲーム]]を進歩させるなど、大きく寄与した。
 
特に[[ビートダウン (デッキ)|ビートダウンデッキ]]、速攻デッキが得意なことで有名で、[[ストンピィ]]などの[[クリーチャー]]デッキを使用することが多い。また、[[デッキビルダー]]としての活躍も目覚ましく、[[スノウ・ストンピィ]]や[[シー・ストンピィ]]などの[[クロック・パーミッション]]の製作を手がけている。[[世界選手権07]]では、当時いわゆる「日本殺し」と言われた[[フォーマット]]だった[[レガシー]]において、新たな[[アーキタイプ]]となる[[Tomb Stompy]]を制作し、[[森勝洋]]に提供。森が好成績を収めたことで、幅広いフォーマットでのデッキ構築力を証明することとなった。また[[赤緑白ビートダウン#イニストラード・ブロック+ラヴニカへの回帰ブロック期|Saito Zoo]]など、Twitterによる自作デッキの「情報公開」を行い、[[メタゲーム]]を進歩させるなど、大きく寄与した。
  
[[2010年]]には[[マジック・プロツアー殿堂]]に選出されていたが、殿堂顕彰セレモニー前に開催された2010年11月の[[グランプリフィレンツェ10]]にて[[遅延行為]]の[[失格]]となり<ref>[http://harurumtg.blog41.fc2.com/blog-entry-155.html GPフローレンスで失格裁定を受けた件について。]</ref>、[[2012年]]5月末まで(1年半)の[[出場停止]]処分を受けている。同時に殿堂入りが取り消された<ref>[https://magic.wizards.com/en/articles/archive/news/saito-removed-hall-fame-selection-2010-12-08 SAITO REMOVED FROM HALL OF FAME SELECTION]/[https://web.archive.org/web/20121230193212/https://archive.mtg-jp.com/publicity/010136/ 斎藤選手が殿堂入り資格を喪失]</ref>。
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[[2010年]]には[[マジック・プロツアー殿堂]]に選出されていたが、殿堂顕彰セレモニー前に開催された2010年11月の[[グランプリフィレンツェ10]]にて[[遅延行為]]の[[失格]]となり<ref>[http://harurumtg.blog41.fc2.com/blog-entry-155.html GPフローレンスで失格裁定を受けた件について。]</ref>、[[2012年]]5月末まで(1年半)の[[出場停止]]処分を受けている。同時に当然ながら殿堂入りが取り消された<ref>[https://magic.wizards.com/en/articles/archive/news/saito-removed-hall-fame-selection-2010-12-08 SAITO REMOVED FROM HALL OF FAME SELECTION]/[https://web.archive.org/web/20121230193212/https://archive.mtg-jp.com/publicity/010136/ 斎藤選手が殿堂入り資格を喪失]</ref>。
  
 
[[プレミアイベント]]遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、[[2009年]]2月にはネットショップ「'''MTG通販 晴れる屋'''」を開き、[[2010年]]6月には実店舗を開いている。また、2014年にプロチーム「[[Hareruya Pros]]」が結成された。同2014年に晴れる屋2号店として成田店をオープンしたのを皮切りに徐々に実店舗を増やしていき、[[2020年]]現在、全国に10店舗が存在する。
 
[[プレミアイベント]]遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、[[2009年]]2月にはネットショップ「'''MTG通販 晴れる屋'''」を開き、[[2010年]]6月には実店舗を開いている。また、2014年にプロチーム「[[Hareruya Pros]]」が結成された。同2014年に晴れる屋2号店として成田店をオープンしたのを皮切りに徐々に実店舗を増やしていき、[[2020年]]現在、全国に10店舗が存在する。

2022年3月26日 (土) 02:06時点における版

齋藤 友晴(さいとう ともはる)は、千葉のマジックプレイヤーMTG専門カードショップ晴れる屋経営者、YouTuber。別名義に「トモハッピー」がある。

目次

概要

福島の高校生だった1999年にマジックを始め、わずか数か月のキャリアでThe Finals99直前予選を通過し、決勝で大本命と言われた「ブルーマスター」小宮忠義を撃破し優勝という幸運で表舞台に登場した。しかし、アジア太平洋選手権01では買収への関与、グランプリ神戸01では偽計により対戦相手の失格を狙ったとして、2連続で「受賞資格も失う失格」となり、2001年10月1日より1年半(2003年4月1日まで)の出場停止処分を受けている。[1][2]

復帰後は、本拠を東京に移し、国際的な活躍を続けている。チーム戦のプロツアーチャールストン06プロツアー初優勝を果たすと、グランプリストラスブール07で悲願の個人タイトルを獲得。そして、2006-2007シーズンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。グランプリ神戸09は友人の結婚式を泣く泣く欠席しながら見事に優勝を飾る。イベントカバレージでは友人の結婚を祝う内容を掲載して埋め合わせを行なった[3]

特にビートダウンデッキ、速攻デッキが得意なことで有名で、ストンピィなどのクリーチャーデッキを使用することが多い。また、デッキビルダーとしての活躍も目覚ましく、スノウ・ストンピィシー・ストンピィなどのクロック・パーミッションの製作を手がけている。世界選手権07では、当時いわゆる「日本殺し」と言われたフォーマットだったレガシーにおいて、新たなアーキタイプとなるTomb Stompyを制作し、森勝洋に提供。森が好成績を収めたことで、幅広いフォーマットでのデッキ構築力を証明することとなった。またSaito Zooなど、Twitterによる自作デッキの「情報公開」を行い、メタゲームを進歩させるなど、大きく寄与した。

2010年にはマジック・プロツアー殿堂に選出されていたが、殿堂顕彰セレモニー前に開催された2010年11月のグランプリフィレンツェ10にて遅延行為失格となり[4]2012年5月末まで(1年半)の出場停止処分を受けている。同時に当然ながら殿堂入りが取り消された[5]

プレミアイベント遠征を活かしてトレーダーとしての活動も始め、2009年2月にはネットショップ「MTG通販 晴れる屋」を開き、2010年6月には実店舗を開いている。また、2014年にプロチーム「Hareruya Pros」が結成された。同2014年に晴れる屋2号店として成田店をオープンしたのを皮切りに徐々に実店舗を増やしていき、2020年現在、全国に10店舗が存在する。

2019年初頭からは「トモハッピー」名義で個人のYoutubeチャンネルを開設。親交のある人物を招いての対戦・雑談や、絶版パックを開封するなどMTGの歴史にフィーチャーした趣旨の動画を配信している。2019年末には晴れる屋の経営やYoutube活動により力を入れるため、競技プロプレイヤー引退を表明した。

2022年2月、「令和の虎」チャンネルメンバーと共に違法な賭けポーカーに参加していたことが発覚し謝罪動画を投稿。また、数日後に株式会社晴れる屋の2022年4月~2023年3月31日の間、役員報酬と株式の配当を受け取らないと補足発表を行った。

主な戦績

プロツアー

グランプリ

その他

代表的なデッキ

脚注

  1. THREE PLAYERS DISQUALIFIED(Event Coverage)
  2. STATEMENT REGARDING THE DISQUALIFICATION OF TOMOHARU SAITOU/斎藤友晴に失格裁定
  3. 『マナバーン2018』(ホビージャパン、2017年11月30日初版)p.62 ISBN 9784798615776
  4. GPフローレンスで失格裁定を受けた件について。
  5. SAITO REMOVED FROM HALL OF FAME SELECTION/斎藤選手が殿堂入り資格を喪失

参考

マジック・プロツアー殿堂顕彰者
2005年 Jon Finkel - Darwin Kastle - Tommi Hovi - Alan Comer - Olle Råde‎
2006年 Bob Maher - David Humpherys - Raphaël Lévy - Gary Wise - Rob Dougherty
2007年 Kai Budde - Zvi Mowshowitz - 藤田剛史 - Nicolai Herzog - Randy Buehler
2008年 Dirk Baberowski - Mike Turian - Jelger Wiegersma - Olivier Ruel - Ben Rubin
2009年 Antoine Ruel - Kamiel Cornelissen - Frank Karsten
2010年 Gabriel Nassif - Brian Kibler - 齋藤友晴 - Bram Snepvangers
2011年 中村修平 - Anton Jonsson - Steven O'Mahoney-Schwartz
2012年 Paulo Vitor Damo da Rosa - 津村健志 - 大礒正嗣 - Patrick Chapin
2013年 Luis Scott-Vargas - William Jensen - Ben Stark
2014年 三原槙仁 - Paul Rietzl - Guillaume Wafo-Tapa
2015年 Eric Froehlich - 八十岡翔太 - Willy Edel
2016年 渡辺雄也 - Owen Turtenwald
2017年 Josh Utter-Leyton - Martin Jůza
2018年 Seth Manfield - Lee Shi Tian
2019年 Reid Duke
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